【愛媛県】すごいもの博2025|ゲスト・インタビュー「 地域から世界へ ― 野村町発の養蚕経営」養蚕家 松山紀彦氏
愛媛県国際農業者交流協議会Share
すごいもの博2025/スペシャルゲストトーク
【スペシャルゲスト】野村のシルク文化を未来へ
― 愛媛シルク工房・松山彦さんに聞く “養蚕10年の歩み”
すごいもの博2025の2日目、毎年恒例となった「スペシャルゲストインタビュー」に、 西予市野村町からシルク・養蚕に取り組む 愛媛シルク工房 代表・松山紀彦(まつやまのりひこ)さん をお迎えしました。
実は私清家、幼い頃は祖母が家で蚕を育てて糸を紡ぎ、着物を織る姿を見て育ちました。 あの頃の「カッタンカッタン」という機織りの音が懐かしい…。でも、いま同じ光景を見る機会はほとんどありません。
そこで今回は、いまの養蚕 と シルクの未来 について、松山さんにじっくりお話を伺いました。
野村とシルクの深いつながり
松山さんのお話によれば、かつて日本では全国の農家の約4割が養蚕をしていた時期があったそうです。 野村町もその中心地のひとつで、シルクの文化が地域の暮らしと深く結びついていました。
しかし、戦後の生活スタイルの変化やナイロンなど人工繊維の登場により、養蚕は一気に衰退。 かつて村じゅうに響いていた機織りの音も、いつしか聞こえなくなっていきました。
真珠からシルクへ ― 55歳からの“第二のスタート”
実は松山さん、もともとは真珠養殖の技術者でした。 しかし、気候変動や赤潮などで真珠産業が大きな影響を受け、仕事から離れざるを得ない状況に追い込まれます。
そんな中で、仕事を失い、 「これから生涯を通じて、地元に貢献できる仕事は何か」と考えたとき、 一番に浮かんだのが、野村に根付いたシルク文化=養蚕でした。
昔、NHKスペシャルで見た蚕の奥深い世界がずっと心に残っていたこともあり、 55歳で大きな決断をして養蚕の道へ。まさに“第二のスタート”です。
シルク博物館となりの蚕舎づくり

松山紀彦養蚕場(蚕舎)
現在、松山さんの蚕舎は「野村シルク博物館」のすぐ横にあります。 これは偶然ではなく、しっかりとした理由があるそうです。- 博物館で、野村のシルクの歴史を知る
- そのすぐ隣で、生きた養蚕の現場を見てもらう
「歴史」と「いま」を同じ場所で体験できる、シルク文化の体験拠点を野村につくりたい――。 そんな思いで、あの場所に蚕舎を建てられたと語ってくださいました。

野村シルク博物館
減り続ける養蚕農家と「桑畑を守るための絹茶」
10年前、野村には12軒の養蚕農家がありましたが、現在残っているのはわずか3軒。 農家がやめると、桑畑は別の作物に転換されてしまいます。しかし、養蚕に必要な桑畑をゼロから作り直すには3年もかかります。 そこで松山さんが考えたのが、桑を守るための商品づくり。その答えの一つが、 桑の葉を使ったお茶「絹茶(きぬちゃ)」でした。

桑畑を守るために生まれた「絹茶」
- 桑茶(プレーン)
- 桑+柚子ブレンド
- 桑+梅ブレンド
実は私も寝る前に絹茶をいただくことがありますが、ほんのりした甘みでとても飲みやすく、 体にもやさしい一杯です。
【オンラインストア】無茶々園オンラインショップ
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国内流通0.1%の“伊予生糸”という宝物
日本で流通するシルク製品のうち、国産生糸の割合はわずか0.1%と言われています。 その中でも、野村の「伊予生糸」は特別な存在です。
- 伊勢神宮の遷宮で使われる装束に使用
- エリザベス女王の戴冠式ドレスにも使われる
「繭を眠らせて熱変性を避ける」「糸のテンションを弱くしてふくらみを残す」など、 昔ながらの独自製法により、柔らかく美しい糸が生まれます。
若い世代へ伝えるために
松山さんの蚕舎には、大学院生や若い方の見学もたびたび訪れるそうです。 とはいえ、仕事としては決して楽ではなく、養蚕だけで暮らしを立てるのは簡単ではありません。
だからこそ、まずは魅力を知ってもらうところから。
- 蚕を育てるワクワク
- 糸が布になったときの感動
- その布が誰かの身にまとわれていく喜び
そういった“養蚕の明るい面”を、これからもっと伝えていきたいと話してくれました。
春の見学は5月中旬がチャンス
来年度の春蚕(5月中旬〜約1か月間)には、 松山さんの蚕舎で見学と説明を受けることができるとのこと(※要予約)。
シルク博物館 → 蚕舎 → 桑畑 → 絹茶の試飲…という、 「野村シルク体験ツアー」がその場で完結する贅沢な学びの時間になりそうです。
詳しい日程や受け入れ状況は変わる場合があります。
ご希望の方は、事前に主催者までお問い合わせのうえ、日程をご確認ください。
おわりに ― シルク文化は“生きている歴史”
シルクというと、どこか特別で遠い存在のように感じるかもしれません。 しかし、その裏側には、地域の暮らし・歴史・人の思いが、静かに、そして確かに息づいています。

松山さんのお話から伝わってきたのは、「守りながら、変わり続ける姿勢」でした。 絹茶づくりや見学の受け入れなど、新しい取り組みを通じて、野村のシルク文化は今も更新され続けています。
松山さん、貴重なお話を本当にありがとうございました。
そしてこの記事を読んでくださった皆さま、ぜひいつか野村のシルクに触れてみてください。

- 養蚕家の松山紀彦さんについてもっと知りたい方は、以下のリンクから紹介記事をご参照ください。